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怒りの向け先について考えてしまいました。

先日、通勤電車のなかで、少し嫌な目にあいました。
法に触れる行為などではなく、マナーに関することなので、行為そのものについてはここでは触れません。

最初は、相手に対して少しカチンときました。
なんだよ~、という思いも湧きました。

でも、よくよく考えると、その相手に対して怒りを向けることは妥当では無いような気がしてきたのです。

一言で言うと、自分の問題として捉えるのが筋ではないかと感じたのです。


(写真は、イメージです。)


怒りの感情が湧いたり、持つことは、人として自然のことだと思います。

怒りを感じなかったことにして、心の奥に押し込めることは、いいことではないと思います。

もちろん、そのような感情とは無縁であるならば、それに越したことはないのかもしれません。

ただし、怒りの感情のキッカケが相手にあったとしても、それをそのままその相手に向けたり、どこかに八つ当たりするのは、適切ではないと思います。

先の電車の件を例に取ります。
自分では気付かなかった失礼をどこかで相手にしていて、それを仕返しされたのかもしれません。

相手のことを気遣えないくらい、追い詰められた状況にその人はいたのかもしれせん。

もっと言うと、種々の事情があるとはいえ、トラブルが起きやすい混雑した電車に乗る選択をした自分が悪いような気がします。

同じ時間に同じ場所に人が集まって仕事をするという、今の日本の社会のあり方にも問題があるような気がします。

怒りは何かに気付くキッカケを与えてくれます。
怒りは、何かを変えるエネルギーを与えてくれます。

ただ相手にぶつけてスッキリするだけでは、とてももったいないと思った次第です。

できるならば、このフツフツと湧き出すエネルギーを使って、自分や世の中を変える努力とした方が、自分としてはより望ましい選択だと感じました。

なので、電車であった不快なことも、とても大きな気づきを与えてくれる、何かの恩寵のように感じました。

とりあえず、ライフスタイルを含めて、見直せる部分がないか、考えてみたいと思います。

世の中に溢れる怒りも、より前向きなエネルギーへと変換する機会となることを願います。

この世が更なる愛で包まれますように。
【 2013/11/13 (Wed) 】 心がけ | TB(-) | CM(4)
Re: 凛様
凛様

コメントありがとうございます!
そして、お褒めの言葉をいただき、ありがとうございます。

自分もゆとりが全くない時には、相手に向けてしまうと思います。
そうならぬよう、日々気をつけたいとは思っています。

お褒めの言葉のご期待に背かぬよう、これからも精進したいと思います。
ありがとうございます。
【 2013/11/18 】 編集
このような状況でもご自身を律するドナ夫様。
素晴らしいですね。
私だったら、自分の波動が下がっているのかなぐらいは考えますが、
失礼度合いによっては怒り、向けちゃってるとおもいます。

でもおっしゃるように、怒りは何かを知らせてくれますね。
それを解放できたら一つ何かをクリアにできているのかなとおもいます。

私もドナ夫様の謙虚な姿勢を見習いたいと思いました。
【 2013/11/17 】 編集
Re: まなぶ様
まなぶ様

コメントありがとうございます!
お褒めにあずかり、恐縮です。

いただいたコメント、種々考えさせられました。
怒りは必要だからあるのか、それとも、怒りを乗り越えることがこの世に生を受け、修養を積むための一つの目的なのか、あるいは、別の要素があるのか、どうなんでしょうね。
でも、持っている感情の一つである以上、上手に付き合いたいところですね。

ありがとうございます。
【 2013/11/17 】 編集
ドナ夫さん、こんにちは^^

やっぱり、
めちゃくちゃ思慮される方ですね~

(いつもながら、くだけた文章でごめんなさい…)


僕としても、自分に置き換えた時に、
知らず知らずのうちに失礼な言動をしていたり、
余裕のない状況で、本来あるべきでない態度を取っていたり…
というコトは多々あると思います。

そういう状況に出くわした時も、
「単に指摘しただけでは、良くなるようにも思えない」
といった感じで、
ただストレスを溜めて終わり…というコトも多いです。

(自分としては、場面に応じて
毅然とした態度もとりたいトコロなんですが、
これがなかなか難しいです)


これは勝手な見解なんですが、
人間にとっての「怒りという感情」は、
「コミュニティを維持するために必要なモノとして
編み出された感情」なのかな?
と考えてます。

例えば、原始の頃であれば、
食物を独占しちゃうみたいな
自分勝手な行動を許していれば、
コミュニティ全体が危うくなってしまうから、

そういった行動に対して制裁を与えたり、
場合によっては
コミュニティから排除するための
エネルギーとして、
生まれたモノなんじゃないかと…


ただ、現代は、話はそう簡単じゃないですね。

「他人」という意識の強い電車の中では、
話はさらに複雑です。

ただ、相手にとっても、
何かしらの形で「気付き」を
与えたい(と言ったら傲慢かもしれませんが)
という気持ちもあります。


確かに、人間は、
怒りというエネルギーを
有用なモノを生み出すためのエネルギーに転嫁させる
能力も持っていますね。

そうですね。
働き方にしても、日本の社会は、
ちょっと型にハマりすぎな気もします。

「単に、いろんな個人や自由を認めるだけ」という方向では
うまくいかない気もしますが、
今できる事・変化させていい部分も
沢山あるのかなぁ…?

ごめんなさい、分かんなくなってきました^^;
【 2013/11/16 】 編集
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