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ささやかな一つの決意。

先日、テロによる痛ましい事件が起きましたね。
犠牲になった方々に対して、謹んで哀悼の意を表します。
そして、心身に傷を負った方々が一日でも早く回復されることを祈ります。

今回の事件を含めて、暴力による問題解決とその意図に対して、断固反対したいと思います。

一方で、相手が大事に思う事物に対して、風刺画であれなんであれ、それを傷つけるような行為にも異を唱えたいとも思います。


今回の事件に限りませんが、いつも疑問に思うことがあります。
それは、本来人々に救いを差し伸べることが目的だと思われる宗教が、なぜ、人を傷つけ、奪い合い、殺し合いのもとになるのかと。

例えば、ユダヤ教とキリスト教、イスラム教は、源流を同じくする宗教だと聞いたことがあります。

イスラム教の預言者ムハンマドにクルアーンと呼ばれる神の言葉を伝えたのは、ジブリールと呼ばれる天使です。
この天使は、ユダヤ教やキリスト教では、ガブリエルと呼ばれています。
ガブリエルは、神の言葉を伝える役割を持つと言われています。

同じ天使が、双方に対して、殺し合いを勧めるのでしょうか?
そもそも、神は、奪うことや殺すことを推奨するのでしょうか?

天使
(写真は、イメージです。)




特定の宗教を信じているわけでもなく、宗教について研究している立場でもないため、深くは存じ上げません。
でも、疑問を感じずにはいられません。

チャネリングの際に、大天使ガブリエルからメッセージをもらったこともありました。
もちろん、そのメッセージの先が本当にガブリエルかどうかを確かめる術はありませんが。

ドナ夫の印象では、ガブリエルは、厳しくも、やはり優しく、愛ある存在だと感じています。
どちらかというと、女性的なエネルギーを感じる存在でもあります。
人間をより成長させようという意図を強くもっているように感じています。

当ブログの以前の記事でも書いた通り、チャネリングには、それを行った人の主観がどうしても入るものだと思います。
受け手が人間である以上、それは避けようがないことだとも思います。

そもそも、高い次元からもたらされる内容を三次元の我々に落とす点でも、困難が伴うものだと感じています。

例えば、三次元でこそ正確に表される地形を地図などの二次元で描写した際に、全てを正確には表現できないことと似ているかもしれません。

角度を正しく表すメルカトル図法では面積が正しく表現できず、面積比が正しいモルワイデ図法では、形が正確に表現できません。
つまり、三次元の地球を二次元の地図では完全には表現できません。

同じように、神や天使のような高い次元の意図を我々のレベルで完全に表すことは難しいのかもしれません。
だから、大日如来が不動明王のお姿を取ると言われるように、我々の方に歩み寄る形で救いの手を差し伸べようとされるのかもしれません。

受け手である我々人類も、少しでも彼らの愛に応えるように努力する必要があると痛感しました。

その視点に立った時に、自分のブログの最後に書いている「弥栄を願って」という表現がどこか他人行儀な響きを持つことに気づきました。

自分としてできることは何かを常に考え、少しでも行動に移していかねばならないと思いました。
その思いを込めて、少し表現を変えることにしました。


今日は成人の日でした。

ドナ夫は、成人を二回は迎えている年齢です。
二十歳を迎える若者たちの晴れ着を見て、少し先を行く先輩として、彼ら若者や子供たち、これから生まれてくる命たちにとり、この世がさらに良い場所となるように努力を重ねたいと思いました。

そんなささやかな決意を持つに至った一日でした。

弥栄(いやさか)を願い、目指して。

この世が更なる愛で包まれますように。
【 2015/01/12 (Mon) 】 心がけ | TB(-) | CM(2)
Re: Ariane様
Ariane様

コメントありがとうございます!
哲学に精通されているAriane様に論旨を補足していただき、とてもありがたく思います。

おっしゃるように、人間の主観や感覚が影響をかなり与えると思います。
チャネリングにせよ、エネルギーヒーリングにせよ、それを行っている人間は通り道、いわば土管のようなものだと思います。
土管が汚れていたり、詰まっていると、おおもとの綺麗なメッセージやエネルギーも汚れてしまい、別のものに変質してしまいます。
なので、チャネラーやヒーラーは、自身の波動を高く保つ努力が常に必要となるんですよね。
スピリチュアルな事象に関わる人間として、これからも日々精進せねばならないと感じております。
そして、色々な意見や見方があり、それもまた真なりということも忘れないようにしたいと思います。

言論の自由に関するご見解もその通りだと思います。
件の新聞に掲載された過去のいくつかの風刺画を拝見しましたが、正直なところ、いい気持ちはしませんでした。
世論に訴える方法として、もう少し別のやり方があるのではないかと感じてしまいます。

そして、お察しの通り、色々な背景を持つ若者が今回のような騒動に関係している点が非常に重要だと思います。
自身や世の中を変えたいという若い純粋なエネルギーがより穏当で健全な形で発揮されるような世の中を築いていかねばならないと教えてくれているのかなと思います。
これは、我々大人の使命なのかなと思います。
まだ自分では読んだことはないのですが、トマ・ピケティ氏の「21世紀の資本」が多くの人に読まれるようになっているとの報道は、一つの世の流れなのかもしれないなと感じています。

貴重なご意見、ありがとうございます。
【 2015/01/13 】 編集
ドナ夫様、こんばんは^^
パリも怖ろしい所になったなぁ、と感じています。
また、ドナ夫様もご指摘になっているように、ある宗教の開祖の風刺漫画を描くというのも、どういうものかと・・。
フランスでのデモの様子を見ると、人々が「言論の自由」を主張していますが、言論の自由の前提として、他人に対する配慮や尊重、礼儀といったものが不可欠ではないかと思います。

高次元のものを三次元に落とす時には主観が入るというのは、全くおっしゃる通りだと思います。
そもそも、認識にはすべて、何等かの種類の主観が入るんですよね。
感覚対象ですら、自分の身体の感覚器官を通じて把握しているわけですから、たとえば、人間の見る世界と、犬が感覚している世界とでは違うと思います。
人の話を何人かの人が聞いて、自分なりに説明する時も、多分、全員が違う説明をするのではないでしょうか。
まして、次元の異なるものを伝える時には、人間とか、それを受けた人に備わっているものを通じて、別の形に変換しなければなりませんよね。
この原則を踏まえておくことは、非常に重要だと思います。
つまり、諸宗教における教義や神像は、既に人間向けに変換された後のもので、自分に現れているものを唯一絶対で最高のものとみなすのは危険だということです。
それをすると他者との対立を避けられないだけでなく、自分自身が排他的で狭量になり、それでは信仰は固くなっても深くはならないのではないかという気がします。
私も宗教について調べている人間ではありませんが、哲学的なテーマとしては、かなり専門にしていた辺りの事でしたので、つい長々と書いてしまいました。
こうした問題のご指摘に、心より感謝致します。

尤も、今のイスラムの問題は、単純に宗教の問題でもないかもしれませんね。
いろんな憤りがあるでしょうし、宗教が大義名分になっているということもあるかもしれないと思います。
【 2015/01/12 】 編集
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